バスケ漫画の金字塔スラムダンク。
このスラムダンクの主人公桜木花道。
桜木花道がインターハイ最後の試合山王戦で背中を痛めてしまいますがこの怪我の詳細ってなんだったのでしょうか?
今回は桜木花道の怪我についてまとめてみましたのでご覧ください。
桜木花道の怪我
桜木花道は山王戦でルーズボールを追いかけ机に背中からツッコミが背中を強打したことがキッカケで試合中に背中に痛みを感じ始めます。
痛みが顕在化した後は激痛を我慢し何とか立ってることがやっとでした。
途中一度ベンチに下がりましたが再び出場。
背中の痛みをこらえ完全なるパフォーマンスが出せない中でも、リバウンドを取ったり相手チームのエースをブロックしたり最後は勝利を決めるシュートを決めるほどの活躍をしました。
最後の流川と桜木のハイタッチは感動しましたよね。
いがみあっていたライバル同士が最後は手を組み強敵を倒す。
まさに友情努力勝利を謳うジャンプ漫画といった感じのラストでした。
そんな感動のきっかけにもなった桜木花道の背中の怪我ですが、
途中マネージャーの彩子さんから「選手生命に関わる」
監督の安西先生からは「後少しで一生後悔するところでした」
とまで言われるほどの怪我だったようです。
具体的に何がどうなって痛みが起きたのでしょうか?
桜木花道の怪我、病名は?
桜木花道の背中の怪我ですが、公式には何がどうなって痛みが起きているのか、どれぐらいの重症なのかと言うのは発表されていません。
なのであくまで作中で分かる範囲での憶測にはなりますが、桜木花道が負った怪我は以下の4つのどれかになるようです。
・背骨の骨折
・脱臼
・打撲
・脊髄損傷
まず背骨を骨折した場合は、骨がくっつき動けるようになるまで3ヶ月ほどかかるようです。
インターハイ直後の夏の間にリハビリを開始していたことから、骨折では無いようですね。
脊髄損傷の場合は、歩行が困難になることが多く、体に麻痺が残り完治する事はありません。
怪我をした後も試合を継続、その後も砂浜に自分で歩いて行ったりしていたことから、そこまでの重症でもないようです。
専門家の推測によると、「打撲」か「脊椎分離症」の可能性が高いようです。
症状:分離した腰椎と、その上の腰椎の連結がなくなって不安定になり、周辺のじん帯や筋肉に負担がかかる。
治療期間は、約3ヶ月
激しいスポーツができるまで回復させようと思ったら、もっとかかります。
しかしこれは明確な答えがあるわけでもなく、作中の描写からの憶測に過ぎません。
背中の痛みの原因は
桜木花道の机に背中を強打したことにより起きた背中の痛み
原因はなんなのでしょうか?
背中が「ビキッと」いってますので筋肉ではなく、骨に何かしらの影響が出ていると考えられます。
机の角に背中を強打したことによって上に挙げた打撲か脊椎分離症のどちらかを発症したということでしょう。
作者の井上さんですらどんな怪我なのかわからないというコメントを残してるように、正式な病名はわからないままです。
背中のリハビリは?
仮に「脊椎分離症」だったと仮定した時に、リハビリにはどれくらいかかるのでしょうか?
バスケ初心者からたった4ヶ月という凄いスピードで上達していた桜木花道。
小暮くんが忘れていてもまた早いと危惧したようにリハビリ期間が伸びるほど元々のレベルに戻るまで時間がかかってしまいそうですよね。
桜木の症状は背中の痛み。運動したり後ろを向くだけで激痛が走る。しびれも出てくる。
これだけでは正確な判断はできないですが専門家によるとスポーツしてる人に多い『脊椎分離症』があてはまるようです。 これは腰の骨同士が離れてしまい背骨が不安定になり周りの筋肉や神経が圧迫されて痛みが走る症状です。
安静にしていれば痛みはなくなるらしいですがスポーツをするまで治すなら専門家の治療が3ヶ月以上必要みたいです。
まず安心なのは、治ると言う事。
そして3ヶ月と言う割と短い期間で治療が可能ということ。
桜木花道のことなのでリハビリも一生懸命こなし常人よりも速いスピードでリハビリをこなしバスケに復帰することでしょう。
桜木花道のその後
桜木花道はその後どうなるのでしょうか?
原作ではバスケ部のマネージャーになった赤木晴子からの手紙を江ノ島の海岸が見える海岸で読んでいる桜木花道。
そこに日本代表のユニフォームを着てランニングをする流川楓と出会います。
流川への闘志を燃やしつつ、先生から呼ばれて「今日はちょっとキツイわよ、耐えられる?」と聞かれたところに
「天才ですから」の名言を残して終わります。
その後どれぐらいで桜木花道が復帰し、どれぐらいの活躍をするのか?
スラムダンクファンなら誰しも気になるところではあります。
面白い考察を見つけました。
第2話『流川楓だ』の扉絵を見ていただきたい。(『SLAM DUNK』通常版1巻,38ページ)
桜木のユニフォーム姿の画がそこにある。
「SHOHOKU」のユニフォームと思いきや、そこには「JAPAN」の文字がっ!
桜木が全日本のユニフォームを来た姿が描かれているのだ。
「JAPAN」と言えば、最終話で桜木の前に全日本ジュニアのトレーニングウエアを着て現れた流川の姿が思い出される。
その話が描かれるのは、この扉絵よりずっと後。
とすると、この桜木の姿は…
そこで、桜木の付けていた番号に注目してみた。
桜木は「JAPAN#16」の日本代表ユニフォームを着ている。
仮に#4から代表のナンバーが始まったとするならば、ずいぶん後の番号となる。
あれから2年後、つまり3年生で日本代表に選出されたのであれば、もう少し若い番号が与えられてもおかしくないハズだ。故に、あの扉絵の桜木は”あれから1年後”の桜木の姿だと考えられるのだ。
この情報はかなりリアリティがあり、現実的で胸熱ですよね!
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桜木花道の父親の生死は?
三井寿以外のキャラクターの過去には謎が多いスラムダンク。
桜木花道の過去にもやはり謎があります。
安西先生が倒れたとき、桜木花道は自分の父親の姿に重ねて涙をふくという場面がありました。
その回想シーンで、いつものように喧嘩から帰ると父親が玄関で苦しそうに倒れています。
病院が近いため救急車を呼ぶより自分で呼びに行った方が早いと判断し病院へ向かう途中、
先ほど倒した不良が仲間を引き連れて報復にやってくるというものです。
「親父が倒れたんだ」
で回想シーンは終わりますがその後父親が同なったのかは描かれていません。
涙ぐんでいたということから亡くなってしまったという意見が多いようです。
その辛い経験から迅速な適切な対処ができたと考えるのが自然でしょう。
いかがでしたでしょうか?
スラムダンク何度読み返しても面白いバスケット漫画ですね。
続編を待ち続けています笑